長期不定期連載コラム「熱血ダンプ狂詩曲」あの頃のあの日に戻りたい!

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カメラを片手に本島中を闊歩していたあのころ、撮るクルマには自分なりの基準があった。とにかく何かパーツが付いていることが前提で、その最低ラインがフロントバイザーだった。80年代当時、バイザーはこそ付いていないがメッキをいい具合に散らしたり、浮世絵プレートやプールハシゴなどで機能的に飾ったクルマはわんさかいた。残念なことに中学生の自分に飾りの善し悪しなど知るはずもなく、そういったクルマが凄いと分かるのはずっと大人になってからのことである。「何ですぐそばに停まっているのにカメラを向けなかったのか?」と当時を思い浮かべてみる。24枚撮り、36枚撮り(コニカは安かった)を何本か持ち、ときにはカメラに入った12枚フィルムのみで撮影に挑む。当然ながら、枚数と撮りたいクルマを頭で考える訳で、子どもながらにシャッターを押すのを我慢したときもあったかもしれない。また、撮りたいクルマがたくさんあって、声をかけたときには出発寸前で、ジョレンと長靴のかかった後ろ姿を寂しく見つめたときもあった。当時も時間の許す限り撮影に費やしたが、もっとガンバレば良かったと後悔する。原石仕様の中期型ZM、出発間際のロボットマスク、修理中のダルマUD、待機中の前期型FVなどいろいろだ。1枚の写真のバックや隅っこに写り込んだ、主人公になることのなかったクルマたち。どのようなマスクをして、どんなボディを背負い、どのようなケツだったのか、わずかな写真の手がかりをもとに記憶をたどることしかできない。