DOHCの名車たち

CONTENTS

DOHCの名車たち DOHC ENGINE POWER
究極の保存版 レースで磨かれたツインカム

●カラー
撮り下ろし カラー18ページ.
スカイラインHT2000GT-R
トヨタ2000GT
ベレット1600GTR
スカイラインGT-Rの50勝を支えた男・三村公明
フェアレディZ432
ケンメリ・スカイラインHT2000GT-R
サニークーペ・エクセレント
トヨタ2000GTオープン
マーク・HT2000GSS
トヨタ1600GT5
セリカ1600GT
セリカLB1600GT
カローラ ・レビン
スプリンター・トレノ
カローラ30HTレビン
ホンダS600
ホンダS800クーペ
ホンダT360
ホンダLM700
ホンダLM800
ホンダP800
ベレットGTX
いすゞ117クーペ
ジェミニ1800ZZ/Rクーペ
ピアッツァXG
ギャランGTO MR
スカイラインHT2000ターボ・インタークーラーRS-X
スカイライン2ドアスポーツクーペGTS-R
スカイライン2ドアスポーツクーペGT-R
ソアラ2800GTエクストラ仕様
トヨタMR2 1600Gリミテッド
カローラ・レビン2ドア1600GTアスペックス
バラードスポーツCR-X 1.6Si

●モノクロ
S20&GR8設計者榊原雄二ストーリー
古平勝S20型を語る
トヨタ7エンジン苦闘の開発秘話

DOHCへの憧れ

なぜDOHCエンジンに憧憬の的になるのだろうか? 圧倒的なパワーを発生すからだろうか? レースで数多く勝利するからだろうか? そのエンジンサウンドが素晴らしいからだろうか? そのメカニズムに興味を抱くからだろうか? いろんな理由が考えられるが、その総合したものが憧れる理由だろう。今回の車の中にあなたの憧れの車はあるだろうか。

真の王車はスカイラインGT-R
SKYLINE HT2000GT-R

スカイラインGT‐Rに70年12月、ハードトップ(以下HT)が登場した。ユーザーの多用な要望に応えたもので、よりパーソナルなユーザーにアピールするためだった。初期型の4ドアGT‐Rは69年5月の69JAFグランプリで篠原孝道のドライブで初優勝を飾ったあと、ライバルのロータリー勢はじわじわ実力をつけて背後まで迫ってきていた。その頃レースファンは、いつマツダのファミリアロータリークーペがスカイラインGT‐Rを破るかが関心事だった。もちろん、日産のレース関係者は一番危機感を感じていたのは当然だった。
HTは4ドアセダンと比べてホイールベースが70㎜短くなり、運動性能が飛躍的に向上した。さらに車両重量が4ドアセダンと比較すると1120㎏から1100㎏になり、20㎏も軽くなった。これはかなり大きいことだ。全長で65㎜短くなり、ホイールベースで70㎜短くなったことは、GT‐Rが別の俊敏な生き物になったようだった。この変更はロータリー勢のサバンナRX3やカペラに優位にたてる大きな要素だった。
しかも、リアフェンダーには太いレーシングタイヤを履けるようにオーバーフェンダーも装着されていた。基本的なメカニズムの変更は多くなかった。 エンジンはニッサンR380に搭載されていた直列6気筒DOHCのGR8系のS20型である。S20型は元々GR8Bと呼ばれていたGR8型の直系エンジンである。ディチューンされたとはいえ最高高出力は160ps/7000rpm、最大トルク18・0㎏‐m/5600rpmという高性能だった。

充実装備の後期型トヨタ2000GT
TOYOTA2000GT

70年代後半のスーパーカーブームの主役はイタリア車ではフェラーリ512BBやランボルギーニ・カウンタックだったが、国産車ではスカイラインGT‐Rでもなく、フェアレディZでもなく、コスモスポーツでもなく、トヨタ2000GTだった。トヨタ2000GTは少年たちの夢のスーパーカーだった。イタリアンカーに負けない流麗なボディにリトラクタブルヘッドライト。そしてパワーユニットには3M型、6気筒DOHCを備えていた。このエンジンはクラウンのM型(1988㏄)6気筒OHCをベースに、ヤマハがヘッド部分をDOHC化したものだった。新設計せずに既存のエンジンをDOHC化したところがトヨタらしい賢い選択だったと言える。
67年5月の発売前、66年5月の第3回日本グランプリで細谷四方洋トヨタ2000GTが3位入賞した。優勝は砂子義一プリンスR380、2位は大石秀夫プリンスR380。66年10月には78時間スピードトライアルに挑戦。細谷四方洋、田村三夫、津々見友彦、福沢幸雄、鮒子田寛の5人がドライバーを務めた。リザーブドライバーは大坪善男や見崎清志が待機していた。3つの世界記録と13の国際記録を樹立している。
また、映画「007は二度死ぬ」にオープンに改造されたトヨタ2000GTはスクリーンデビューし、発売後7カ月の67年暮れに公開された。

サーキット育ちのGTR
BELLETT1600GTR

トヨタ、日産と並び自動車会社の御三家と呼ばれた時代のいすゞは多くの名車を残している。今でこそトラックメーカーとして確固たる地位を築いているが、60年代は乗用車で勝負していた。いすゞのモータースポーツの話から始めてみよう。
国内デビューは64年5月の第2回日本グランプリ。いすゞは10台のベレットを送り込んだ。ライバルは9台のスカイライン。予選はベレットが7~9位に沈んだ。スカイラインは1位~6位までを独占した。決勝では中島が9位、浅岡は10位に終わった。この屈辱を晴らすべく、いすゞはベレット1600GTを発売する。
65年11月の鈴鹿300㎞レースでは後にトヨタワークス入りする福沢幸雄がスカイライン2000GT‐Bに続き2位入賞している。OHVエンジンからDOHCに変更する計画が浮上してきた。それがベレットGTXである。パワーユニットはG161W型4気筒DOHCだ。
GTXのデビューレースは69年4月の鈴鹿500㎞だ。結果は5位と7位に終わる。ベレットGTXが最も輝くのが69年8月の鈴鹿12時間レース。トップグループを走るのはホンダR1300やポルシェ906。終盤1台のホンダR1300が炎上、その間隙をぬって浅岡重輝/形山寛次組ベレットGTXがチェッカーフラッグを受け、優勝を飾った。そのベレットGTXが、69年9月、ベレット1600GTRと名称変更され発売された。

スカイラインGT-Rの50勝を支えた男 三村公明

71年5月、エンジン設計部が排ガス対策のため、レース関係から手をひいたので、特殊車両部として、機関設計のアドバイスをもらいながらレーシングエンジンの設計をすることになり、古平と三村が担当することになった。
S20型は熟成期で大幅な出力アップが望めなかったが、動弁系、吸気系、エアファンネルの形状、ヘッドの燃焼室形状、ピストンヘッドの形状など1つ1つの部品のチューニングの積み重ねで、コンスタントに260psオーバーまで性能がアップされた。
シリンダーヘッドではポート研磨時に水漏れのネックになっていた水穴を改良するために、東京軽合金という会社まで出向いて古平とともに砂の中子削りまでやった。最後の手段として考えられたエンジンがS22型(2200cc)だった。S20型はBRMの文献から吸気系が大きすぎるためにトルクがピーキーになり、アクセルレスポンス悪いのではないかという疑問が出てきたのでシリンダーヘッドを新設計したかったが、時間とコストを考え、シリンダーヘッドを従来のレース用をそのまま使い、排気量を2200ccに増大することで試作費用を切り詰めた。容積増大のためライナーは本来なら潤滑問題で鋳鉄を使うのだが、時間とコストを考え、丸棒削り出しで摩擦低減のため化学表面処理をしたが、その部分だけきれいに剥がれて失敗した。
しかし、何も調整しない状態で考えていた以上の性能が出たことで、考え方の方向性は間違っていなかったことが確認された。
三村はマツダと同じ土俵で闘いたかった。S20型エンジンのヘッドをセミペントルーフにした。日産技術陣はロータリー勢に勝つために安易に排気量を上げる道は選ばなかった。プロトタイプは無制限に排気量を上げればいいが、ツーリングカーはそうではない。S20型のシリンダーヘッドを新しく作り替えれば軽量化と性能向上ができたが、予算の関係でできなかった。71年終わりには簡単にサバンナに勝てなくなってきた。
50勝目をかけ72年3月20日、富士300・スピードレースが行われた。予選1位は高橋国光GT‐R、2位は都平健二GT‐R、3位は久木留博之セリカ。雨の決勝では都平がリードしたが、スピンしコースアウト。以後、高橋は危なげない走りで50勝目を挙げた。
72年10月の東京モーターショーにケンメリ・スカイラインHTGT‐Rが出品された。73年1月にケンメリGT‐Rが発売されたが、わずか4カ月で生産中止になった。その頃、これからのレースをどうするかを討議する会議に三村は参加した。ケンメリの車両重量は増える。排気対策でエンジン性能が落ちる。それ以上に性能が上がる要素はない。
三村は「ボディのアウター側をアルミにして、足回りを軽合金にしてください」と提案した。でも予算上の理由で全部却下された。ロータリー勢と重量差は100kgもある。会議の帰りがけ、青地に「もうケンメリはやめましょう」と三村が言ったら、「わかった」と残念そうにうなづいた。
96年に日産を退社した。日産に在籍していた89年から母親のために独自に勉強していた指圧の道に入る。指圧学校に3年通ったあと、静岡県富士市に移住し、約7年現場実習した。現在、東京に戻り、お茶の水の治療院に週2回通いながら三村指圧院の院長として活躍している。 レーシングエンジンを設計した男の華麗なる変身にただ唖然とするばかりだった。

 

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