スカイライン&GT-R

Nostalgic Hero別冊
究極の保存版 スカイライン&GT-R

目次

カラー 撮り下ろしカラー50ページ

R35 NISSAN GT-R/鈴木利男STORY/BNR34スカイラインGT-R Vspec II N_r/BCNR33スカイラインGT-R LMリミテッド/R33&34商品主管渡邊衡三STORY/R32スカイライン2ドアスポーツクーペGT-R Vspec/ 主担&主管田口浩R32&R33を語る/R32スカイライン2ドアスポーツクーペGT-R/KPGC10スカイラインHT2000GT-R/SSCT筑波サーキット走行会R/GT-R O.C富士スピードウェイ走行会/NISMO フェスティバルat 富士スピードウェイ/スカイラインHT2000GT-R/スカイライン2000GT-Rwith篠原孝道/スカイライン2000GT-R/ケンメリ・スカイラインHT2000GT-R/ALSI-1スカイライン1500/ALSI-Dスカイライン DX/スカイラインスポーツ・コンバーティブル/スカイラインスーパー/スカイライン2000GT-B/スカイライン2000GT-A/スカイラインHT2000GT-E・S/スカイライン2000ターボインタークーラーRS-X/スカイラインセダン2000ターボインタークーラーRS/スカイライン2ドアスポーツクーペGTS-R/スカイライン2ドアスポーツクーペGT-R/特盛PRESENT

モノクロページ
主管伊藤修令R32スカイラインを語る/長谷見昌弘が語るBNR32GT-R/スクランブル・ニュース/初出一覧・奥付

スーパーヒーロー。

R32からR34のGT-RはハコスカやケンメリGT-Rとは一線画している。さらにスカイラインの名前が付いていないR35GT-Rは異次元のスーパーカーに仕上がっている。ニッサンGT-Rをスカイラインの仲間に入れて今回のスカイライン特集に加えてみた。
開発ドライバーや主管のインタビューも合わせてお楽しみください。

GT-Rの速さは超一級品だ。
NISSAN GT-R
●ニッサンGT-R

 2007年10月24日、日産はニッサンGT-Rを日産ハイパフォーマンスセンター中心に、12月24日から全国一斉に発売すると発表した。
名前にスカイラインはなく、ニッサンGT-Rとなった。このことはスカイラインのモデルチェンジに左右されずに自由にモデルチェンジできることを意味していた。ゴーン社長から開発主管に任命されたのは水野和敏。日産のCカーやFM(フロントミッドシップ)パッケージ(V35スカイライン)にも関係していた水野は04年早々からGT-Rの基本構想を練っていった。
早速、Cカーに関係したスタッフやレーシングドライバーの鈴木利男に声をかけた。特に空力のスペシャリストの鈴鹿美隆に協力を仰いだことはGT-Rの性格をより鮮明に打ち出していた。空気抵抗Cdは0・27を達成している。01年10月24日の東京モーターショーのGT-Rの元になるアドバンスド・デザインプロトタイプは観客に強烈な印象を与えた。そのデザインをさらに昇華させなければならなかった。

ニュル名を冠したN1仕様ベース
SKYLINE GT-R V-specII Nur
●スカイラインGT-R VスペックII Nur

 97年1月8日、R34スカイラインGT-Rが登場し、全国一斉発売した。車両運動性能を向上させボディ剛性を向上させている。エンジンは15・6kgm/リットルという国産最高のリットル当たりのトルクを達成。ミッションはゲトラグ社との共同開発の6速。リアスポイラーは角度調整機構付き2段式。また、空力に優れるフロントディフューザー&カーボン製のリアディフューザーを採用している。
ブレーキはR33でも好評だったブレンボ。走行風を利用してホイール内部の空気を吸い出すブレーキ冷却システムを採用したことでスポーツ走行時の耐フェード性も向上させている。
「V・spec」の東京・名古屋・大阪希望小売価格は559万8000円。「N1」の価格は599万8000円。
スカイラインGT-Rの限定車「M・spec Nur」と「V・spec II Nur」は02年1月24日に1000台限定で発売された。NurはスカイラインGT-Rが熟成するために必要不可欠なドイツのサーキットのニュルブルクリンクの略称。

ル・マン参戦記念車のLMリミテッド
SKYLINE GT-R LM LIMITED
●スカイラインGT-R LMリミテッド

 95年1月6日、R33スカイラインGT-Rが全国一斉発売された。このGT-Rは4代目にあたる。96年にル・マン参戦用のホモロゲーションモデルNISMO GT-R LMがわずか1台生産される。96年1月、スカイラインの変更に伴いマイナーチェンジされデュアルエアバッグが標準装備された。同月、2・8リットル、400psの公道最強モデルのNISMO400Rが発売された。生産台数は99台、価格は1200万円。
今回の撮影車であるLMリミテッドが96年5月に発売された。この車はル・マン24時間レースの参戦記念車として7月末までの限定車だった。タイプは2種類。「GT-RLM」と「GT-R V・spec LM」。
ボディカラーはチャンピオンブルー。エアインテークダクト付きフロントバンパーや角度調整機構付きカーボンセンターリアスポイラー、専用ステッカー(リアクォーターピラーに貼られたチェッカーフラッグ)を装着。

16年ぶりにRが復活した
SKYLINE 2DOOR SPORT COUPE GT-R V・spec
●スカイライン2ドアスポーツクーペGT-R V・スペック

 89年5月21日にR32スカイラインは発売された。しかし、GT-RとGTS-4は3カ月遅れの8月21日に発売された。曲面基調のスタイルで、フロントは強く絞り込まれて端正なマスクである。R31スカイラインと比べて全高と全幅が大幅に短縮され見るからに速そうなイメージに仕上がっている。GT-Rは2ドアスポーツクーペで4ドアのGT-Rは設定されなかった。
GT-Rは専用ボディで、ブリスターフェンダーとし、全幅1755mm(2000ccより60mm拡大)にしている。
エンジンはRB26DETT型、最高出力280ps/6800rpm、最大トルク36・0kg-m/4400rpm。4WDのGT-Rは東京・名古屋・大阪希望小売価格が445万円。

R380のGR8改良型がS20
SKYLINE HT2000 GT-R
●スカイラインHT2000GT-R

 68年秋の第15回東京モーターショーに参考出品されて話題になったスカイライン2000GT-Rは69年2月21日から一斉発売された。スカイライン2000GT-Rのルーツは64年にプリンスから発売されたスカイライン2000GT-Bである。プロトタイプのレーシングカー、ニッサン(プリンス)R380の搭載されていたGR8型DOHCエンジンを市販型に改良したS20型を搭載。総排気量は1989㏄、最高出力は160psの「R380用エンジン搭載」、と日産からのニュースリリースと書かれていた。さらに、新聞広告には「R-380のエンジンをそのまま搭載した2000GT-R登場」と堂々と書かれていた。

鈴木利男ストーリー
SUZUKI TOSHUO STORY
デイトナ24時間優勝&ル・マン24時間2位ドライバー

カートでトップを極め、初代全日本F3チャンピオンのタイトルをひっさげ、80年、81年イギリスF3に挑戦したが、結果を残せず帰国。FPやF3000レースに出るが、芳しい成績は残せなかった。87年にホンダからF1のウィリアムズFW10ホンダのテストを依頼されるが、体力不足が露呈してしまった。88年に星野一義とニッサンR88Cに乗ってから、数々の優勝を飾り、92年のデイトナ24時間レースで星野と長谷見昌弘と優勝。さらに99年トヨタGT-oneで2位入賞。07年に発売されたニッサンGT-Rの開発ドライバーを務め、類い希な開発能力を発揮した。

R33&34商品主管
渡邊衡三ストーリー
WATANABE KOZO STORTY

R33スカイラインの商品主管を途中から引き継いだ渡邊衡三の目に見えない苦労は大意変なものだっただろうと推測される。時間的な余裕のないスケジュールで期待に応えた渡邊の手腕は高く評価されるべきだろう。だからこそ上層部はR34スカイラインの商品主管を渡邊に委ねた。成功作R32スカイラインの影を意識しつつ、どのようにしてR34を開発していったのだろうか。

R32商品主担&R33商品主管
田口浩がR&R33GT-Rを語る
TAGUCHI HIROSHI STORY

R32スカイラインで大成功を収めた主管伊藤修令の懐刀的な存在だった田口浩にとって、R33スカイラインはR32を踏襲しながら、改良していくのが最善の方法と思われた。しかし、上層部からローレルと同じホイールベースにしろ、と命令が下った。田口は理想のR33を追い求めたのだが……。

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