国産名車アルバム50

CONTENTS

「国産名車アルバム50」

撮り下ろし

  • スカイライン2000GT-R 谷井 功
  • トヨタスポーツ800 高島秀吉
  • ホンダS600 谷井 功
  • フェアレディZ432 桜井健雄
  • ケンメリスカイラインHT2000GT-R 谷井 功
  • ブルーバード1600SSSクーペ 馬場達二
  • フェアレディ2000 谷井 功
  • サニークーペ1200GX 森下光紹
  • スカイライン2000GT-B 谷井 功
  • グロリアスーパー6 林 宏一
  • セドリック2000DX 馬場達二
  • シルビア 林 宏一
  • シルビアLS
  • サニー1000クーペ 谷井 功
  • チェリー2ドアスポーツDX 谷井 功
  • グロリアスーパーDX 野澤廣幸
  • セドリックカスタム6 桜井健雄
  • スカイラインスポーツコンバーティブル谷井 功
  • ローレルHT2000SGX 桜井健雄
  • バイオレットHT1600SSS-E 野澤廣幸
  • ブルーバードUHT2000GTX 谷井 功
  • トヨタ2000GT 高島秀吉
  • スプリンター・トレノ&カローラ・レビン 但馬 治
  • トヨタ1600GT5 但馬 治
  • クラウン・エイト 澤田優樹
  • パブリカ 野澤廣幸
  • コロナマークⅡHT1900GSS 野澤廣幸
  • カローラスプリンター1100SL 編集部
  • コロナDX 澤田優樹
  • ホンダN360ツーリングS 林 宏一
  • ホンダ1300 99S 谷井 功
  • ホンダZ GSS 馬場達二
  • コスモスポーツ 馬場達二
  • ルーチェロータリークーペ 林 宏一
  • カペラロータリークーペGS 馬場達二
  • シャンテGL 馬場達二
  • コルトギャランGTO2000GSR 馬場達二
  • デボネア・エグゼクティブ 原 勝弘
  • ギャラン16L HT GS 谷井 功
  • ランサーセレステ1600XL 谷井 功
  • ランサー1600GSRラリー仕様 但馬 治
  • ベレット1600GTR 馬場達二
  • いすゞ117クーペ 澤田優樹
  • ジェミニ1600クーペLS 馬場達二
  • スバル360 但馬 治
  • スバルR-2 谷井 功
  • シャレードクーペXTE 林 宏一
  • コンテッサ1300クーペ 高島秀吉
  • フロンテSSS360 馬場達二
  • コニースーパーグッピー 澤田優樹
  • スクランブル・ニュース
  • 奥付/初出一覧表
  • 特盛PRESENT

4ドアセダンはGT-Rの原点だ
SKYLINE2000GT-R/スカイライン2000GT-RGT

スカイラインGT‐Rは今も続く名車になることを、69年2月のデビュー時に誰が想像しただろうか。名前も旧モデルのGT‐Bが継承されていたらどうだっただろうか。また、GT‐Vになっていたらどうだっただろうか、と想像をたくましくしてしまう。  レーシングカーのプリンス(ニッサン)R380のGR8型をルーツに持つS20型市販エンジンを搭載したからこそ、オーナーはレーシングカーをドライブする夢をスカイラインGT‐Rに抱いたはず。  C10スカイラインの外観を最初デザインしたのは東大の応用物理出身の森典彦。プリンスでクレイモデルを最初に採り入れたのは森だった。インダストリアル・クレイをアメリカから輸入し、S50スカイラインのときに本格的に活用した。S40グロリアはS50スカイラインより1年先行してデビューした。森はS40グロリアの頃から車のデザインに六面体を基本にする手法を考え出した。  S40グロリアの次にデザインしたのはBMW2002に似たS7スカイラインだった。しかし、上層部から認められずお蔵入りした。そこで急きょデザインされたのがS50スカイラインだった。フロントやリアスタイルはより豪華になった。S7スカイラインから引き継いだのはスカイラインの代名詞の丸型リアランプだった。正確に言えば初代ALSIスカイラインのマイナーチェンジのときにコーン形状の丸型ランプを採用したのがルーツ。  そんな流れの中、C0スカイラインを森はデザインした。デュアルヘッドライトは鋭い顔つきにするために、ボンネットフードの両端を少し斜めに上げて、個性的な顔にしている。4灯の周囲をぐるりとモールで囲み、ラジエター中央部で絞ったデザインはいかにも理詰めの森らしい。しかし、マイナーチェンジでは松宮修二が眉毛のようなデザインに変更し、人気に拍車がかかった。  GT‐Rには前期型ファンと後期型ファンがいて、森派と松宮派がいるのは面白い。前期型は残っている数が少なく、希少価値が高いとも言える。

本田宗一郎の魂が入ったS600
HONDA S600/ホンダS600

62年10月の全国ホンダ会総会にホンダスポーツ・360、スポーツ・500、T・360がお目見えした。スポーツ・360の総排気量は356cc、最高出力は33ps以上/9000rpm、最大トルクは2・7kg‐m/5000rpm。スポーツ・500の総排気量は492cc、最高出力は40ps以上/8000rpm、最大トルクは3・8kg‐m/6000rpm。T・3600の総排気量は356cc、最高出力は30ps以上/8500rpm、最大トルクは2・7kg‐m/6000rpm、と配布資料には書かれていた。  62年の東京・晴海で行われた第9回全日本自動車ショーにはホンダスポーツ・500が展示された。63年10月にスポーツ・500はS500と改称され発売された。エンジン型式はAS280E。総排気量は39ccアップされて531cc。可変(CV)ベンチュリー・キャブレターを4連装し、最高出力は4ps上がり44ps/8000rpm、最大トルク0・8kg‐m増えて4・6kg‐m/4500rpmになった。   64年3月、AS385E型エンジンを搭載したホンダS600が登場。総排気量は606cc。この車が64年5月に開催された第2回日本グランプリに挑戦した。F1マシンを操るロニー・バックナムも急きょ招かれた。ホンダの契約ドライバー(ライダー)の北野元、島崎貞夫、漆山伍郎、田中棹助、伊藤修策、古我信生、永松邦臣らも参加した。結果はバックナムが優勝、2位は北野、3位島崎だった。  ホンダS600は65年7月の全日本自動車クラブ選手権レース(通称船橋CCCレース)に出場した。ドライバーは生沢徹。ホンダの研究所から後の社長の川本信彦、副社長の入交昭一郎、デザイナーの大塚紀元などがボランティアで手伝ったと言われている。決勝では浮谷東次郎のトヨタスポーツ800が大逆転した伝説のレースだが、ホンダS600のポテンシャルは圧倒的にトヨタスポーツ800を凌駕していた。レースにもしもはないが、もしも路面が乾いてこなかったら、もしもピットから浮谷の猛追が生沢に知らされていたら、生沢ホンダS600が優勝していただろう。

低燃費の軽量スポーツカー
TOYOTA SPORTS800/トヨタスポーツ800

62年10月の第9回全日本自動車ショーにパブリカ・スポーツ(UPスポーツ)が出品された。さらに第11回東京モーターショーにも出品された。65年4月にトヨタスポーツ800として発売された。2U型のミニパワーながら、最高速度155km/h、0→400m18・4秒の高性能は、流体力学を追求したボディシェイプのたまものだった。スタイリングは関東自動車工業が担当した。それはエンジンルームのプレートにも示されている。  トヨタスポーツ800は65、66年式のものを初期型、67年式のものを前期型、68年式のものを後期型、69年式のものを最終型と呼ばれている。一番よくわかるのはフロントスタイルで、初期型と前期型は十字型で、後期型と最終型は凸型である。また、リアウインドーは初期型がアクリル標準で、前期型、後期型、最終型がガラス標準である。TOYOTA SPORTS800のエンブレムは、後期型以降は大型になった。フロントターンランプは、後期型、最終型がアンバーに変更された。  メーターパネルは初期型と前期型はアルマイトで、後期型、最終型がガンメタ塗装。ステアリングスポークの色は初期型と前期型がシルバーで、後期型、最終型が黒。  トランスミッションは初期型(65年式)が1速ノンシンクロで、それ以降はフルシンクロ。発電機は初期型がジェネレーターで、それ以降はオルタネーター。  詳細は省略するが、トヨタスポーツ800は年式ごとに改良が重ねられ、より熟成された車に成長した。

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