日本GT伝説
日本GT伝説
- タイトル
- 日本GT伝説
- 発売日
- 2008/09/19(金)
- サイズ
- 28.4 x 21 x 1 cm
- ページ数
- 160
- JAN
- 4874659209
NostalgicHero別冊「日本GT伝説」
トヨタ2000GT SCCAカラー
ベレット1800GT
ギャランGTO2000GSR
CONTENTS
日本GT伝説 熱き伝説のGTレースを再現
最強のGTはどの車か
トヨタ2000GT SCCAカラー
ベレット1800GT
ギャランGTO2000GSR
- トヨタ2000GT前期型
- トヨタ2000GT 後期型
- スカイラインGT
- スカイライン2000GT-B Ⅱ型
- スカイライン2000GT-A
- スカイラインHT2000GT-R
- スカイライン2000GT-R
- ケンメリスカイラインHT2000GT-R
- スカイラインHT2000ターボGT-E・X
- ベレット1600GTR
- ベレット1600GT
- ベレット1600GTファストバック
- ベレット1800GT
- トヨタ1600GT5
- トヨタ1600GT5
- コルトギャランGTO MR
- コルトギャランGTO R73-X
- コルトギャランGTO MR
- セリカ1600GT
- セリカ1600GTV
- セリカLB2000GT
- サバンナGT
- サバンナAP GT
- カリーナ1600GT
- ソアラ2800GTエクストラ仕様
- サバンナRX-7ターボGT
- ホンダZ GT
- ホンダZ GT
- ホンダZ GTL
- ミニカスキッパーGT
- 日本GT考 PART1
- 日本GT考 PART2
- 日本GT四方山話
- 熱き伝説のGTレースを再現
- 68年トヨタ2000GTで3勝を挙げた男・北原豪彦
伝説のGTを探せ
JAPAN GT LEGEND
GTは特別な意味を持っている。グランツーリスモという高速長距離ツアラーというだけでなく、素晴らしい走りをするスタイリッシュな車の意味を持つ。さらにレースのためにチューンするとレーシングカーに変身する。GT-RもGTOなどもGTを超えたイメージを持つ。60年代のレースにはGTクラスがあり、そのクラスにエントリーする車がGTカーのように扱われた。さらに現在ではスーパーGTレースが活況を呈しているのでGTのイメージは上がる一方である。今回30台の伝説を持つGTのなかにあなたの好きな車はあるだろうか?
トヨタ2000GT
日本を代表するGTがトヨタ2000GTである。高速道路を悠々とクルージングできる優雅なグランツーリスモ。トヨタとヤマハが共同開発したトヨタ2000Tは65年10月29日から開催された第12回東京モーターショーに出品された。発売は67年5月16日だった。発売前の66年5月の日本グランプリに出走。プロトタイプのプリンスR380やポルシェカレラ6に果敢に挑戦し、細谷四方洋 が健闘よく3位表彰台に上がっている。また、トヨタは活躍の場をアメリカのサーキットに求めている。それが68年SCCAチャレンジレースだった。Cクラスのライバルはポルシェ911S、トライアンフTR250、ダットサンSR311。レース仕様への改造とレースの運営をまかされたのはキャロル・シェルビーだった。ホイールはマグネシウムと同じ形状だが、シェルビーが鍛造しなおしている。
ベレット1800GT
日本初のGTとしていすゞのベレットは日本の歴史に残る車である。
63年10月26日から東京晴海で開催された第10回全日本自動車ショーに日本初のGTであるベレット1500GTとロータリーエンジンが出品された。64年4月6日にベレット1600GTは発表され、4月28日に発売が開始された。その前の63年11月20日に4ドアノッチバックの1500DXと1500スタンダードが発売されている。リアランプはおむすび型で親しみのある形だった。5カ月後に発売された2ドアクーペのベレット1600GTのリアランプは6角形のシャープな形状に変更されていた。
ギャランGTO2000GSR
69年10月の第16回東京モーターショーに1台のショーカーが展示された。名前はコルトギャランGTX-1。市販型の名前はコルトギャランGTOに変更され、70年10月に正式発表された。この車のベースカーはセダンのコルトギャランである。
三菱は第1回日本グランプリからレースへ積極的に参加した。このときのマシンは三菱500だったが、三菱はこれからのモータースポーツのレースシーンは、フォーミュラカーが席巻すると予想した。67年第4回日本グランプリにF2Aを出場させた。エンジンは1・6L OHVだったが、戦闘力アップのためにDOHCエンジンを開発し、コルトF2Bに1・6L DOHCエンジンを搭載した。それをベースに4G32型(サターンAIII)が開発された。その後、三菱は2LのR39B型エンジンを搭載したコルトF2000を駆った永松邦臣や益子治のドライブで71日本グランプリを席巻する。一度だけギャランGTOがサーキットに姿を現したことがある。しかし、ポテンシャルは高くなくライバルを凌駕することはないと判断され、ツーリングカーレースの参加は中止になった。