日本名車 BEST50

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NOSTALGIC CARS BEST50
日本名車 BEST50

日本には名車が数々存在する。世界に誇れる名車もある。ヨーロッパの自動車メーカーでは航空機をルーツに持つ会社もある。 プリンスのルーツは立川飛行機と中島飛行機だ。富士重工も中島飛行機がルーツだ。 日本の優秀な航空機の頭脳が、自動車の設計に投入され、自動車の性能が飛躍的に向上した。 僕たちが名車を好きになる理由は、スタイルと性能によるものが多い。 しかし、名車を作った男たちのロマンを知れば知るほど、その車を好きになるに違いない。 空と陸にロマンを求めた男たちのドラマが50台の車に表現されている。 今回の日本名車BEST50は旧車の集大成である。あなたの好きな名車が絶対あるハズ!あなたの本棚に保存版アルバムとしてぜひ飾ってほしい。

収録車両

スカイラインHT2000GT-R/トヨタ2000GT/フェアレディZ432/ケンメリスカイラインHT2000GT-R/ホンダS800M/トヨタスポーツ800510/ブルーバード1600SSS/クーペスバル360DX/ベレット1600GTR R30/スカイラインHT2000/ターボ・インタークーラーRS-X/コスモスポーツいすゞ117/クーペ カローラレビンセリカ1600GTVC210/スカイラインHT2000GT-E・X/フェアレディ2000/サニークーペ1200GX5AE86/カローラレビン3ドア1600GT/アペックスローレルHT2000SGXR31/スカイライン2ドアスポーツクーペGTS-RR32/スカイライン2ドアスポーツクーペGT-R/ホンダN360DX/サバンナGTコンテッサ1300/クーペ フェアレディ2000ターボZ-TTバールーフ2/シータースカイライン2000GT-B/ミゼットギャランGTOMR/フロンテクーペGXCF910/ブルーバード4ドアHTターボSSS-X/トヨタ1600GT5/スタリオン2000ターボGSR-Ⅱ/サバンナRX-7カスタムグロリアスーパー6クラウンDX/ホンダZ GSライフ・ステップバンスーパーDX/シルビアキャロル/スバルR-2スーパーDX/バモス・ホンダ4ピアッツァXEランサー1600GSR/マツダR360クーペパブリカ800DXセドリックカスタム/ホンダ1300 77SライフスーパーDX/スバル1000DXシビック1200RS/特盛PRESENTスクランブル・ニュース

GT-Rに勝る名車はあるか SKYLINE HT 2000GT-R

69年2月にスカイライン2000GT-Rが登場。69年5月の69JAFグランプリに参戦し、薄氷の勝利を得る。レースで勝利を重ね るが、日産は70年10月にハードトップ(以下HT)を発表する。KPGC10の型式を持つHTのGT-Rである。 スカイライン史上初のHTだ。 4ドアから大きく変わったのはホイールベース。 運動性能を向上させるために、4ドアGTより、70mm切りつめ2570mmとしている。 センターピラーを取り去り、サイドメンバーを補強し、リアクオーターピラーもセダンより傾斜を強め、 その中央に丸型のベンチレーションを組み込んでいる。フェンダーミラーもブラックアウトされた。

インテリアは4ドアGT-Rと趣を異にする。大型の速度計と回転計の左右に燃料計や水温計などを配している。 シートは本格的なバケットタイプで、リクライニングはしない。 HT2000GTとの違いは、サーフィンラインを断ち切り、リアにボルト留めのオーバーフェンダーを装着したこと。 これもミラーやサッシュと同じくブラックアウトされ、迫力を増した。 71年9月にマイナーチェンジされ、内張りやシートの柄などが小変更されている。 ちなみにマイナーチェンジ前のフレームナンバーは3桁、それ以降は4桁である。

HT2000GT-Rはレースで連戦連勝だった。その50連勝目のレースは71年12月12日の「富士ツーリスト・トロフィーレース」。 日産ワークスから高橋国光/都平健二組、北野元/ 長谷見昌弘組、砂子義一/須田祐弘組。 PMC・Sから久保田洋史/杉崎直司組、塩谷俊介/大石秀夫組、正谷栄邦/田村三夫組が出走。 だが、25周でワークスが全滅。優勝は94周でトップに立った 久保田/杉崎組に託された。 が、ラスト4周、杉崎のスピンによって、 加茂進/増田建基組のサバンナが優勝をさらっていった。 これでGT-Rの50連勝が消滅した。50勝目は72年3月20日の「富士300kmスピードレース」。国光と都平が出場。 豪雨の中、トップに立った都平がクラッシュ、国光がペースダウンしながら勝利を飾った。GT-Rはこのレー スで50勝の金字塔を建てたのである。

GTカーの頂点に立つ TOYOTA 2000GT

日本を代表する名車は海外のイベントに出しても恥ずかしくないものでなければならない。その車がトヨタ2000GTである。生産台数が少なかったせいもあるが、約40年たった今もその人気は衰えることはない。
トヨタ2000GTが人々の前に初めて姿を現したのは、65年10月に開催された第12回東京モーターショーだった。

トヨタ2000GTは発売前に、大胆にもレースデビューしている。66年5月の第3回日本グランプリだ。このレースには3台のトヨタ2000GTがエントリーされた。ドライバーは福沢幸雄、細谷四方洋、田村三夫。だが、福沢は練習中に炎上し、ヤケドを負ったため予選に臨んだのは2台だった。決勝では、優勝は砂子義一プリンスR380にさらわれたが、細谷が3位入賞を果たした。

66年10月の第13回東京モーターショーにはルーフをカットしたフルオープンのボンドカーが出品されている。その半年後の67年5月、トヨタ2000GTはショーモデルのまま市販された。ただし、話題をまいたワイヤースポークホイールは剛性不足のため見送られ、神戸製鋼製のセンターロック5Jマグネシウムホイールを履いていた。

MF10の型式名を与えられたトヨタ2000GTは、トヨタとヤマハが共同開発した意欲作だった。その証拠にエンジンルームにはトヨタとヤマハのプレートが付いている。

注目のパワーユニットは、クラウンに搭載されていたM型直列6気筒OHCをベースにした3M型。ヤマハの手によってDOHC化され、3基の40PHH2ソレックス・ツインチョーク・キャブレターによって、最高出力150ps/6600rpm、最大トルク18・0kg‐m/5000rpmの性能を発揮する。当時の2・エンジンとしては最強の部類に入る。これにマニュアル5速ミッションを組み合わせ、1145kgのボディを最高速度215km/hまで引っ張ることができた。ゼロヨン加速も15・9秒のタイムをたたき出した。

インテリアも贅を尽くしたものであった。ピアノ製作で定評あるヤマハが、ローズウッドのダッシュボードを作り、ステアリングのセンター部分にローズウッドを組み込んでいる。

トヨタ2000GTは69年8月に初めてのマイナーチェンジを実施している。エクステリアではフォグランプが小径化されたことによって、フロントグリルと一体化され、すっきりしたデザインになった。また、バンパー下のターンシグナルランプやサイドのリアリフレクターも、より大きな視認性の向上したものに変更された。

S20型エンジン搭載の走り屋 FAIRLADY Z432

日産は69年10月18日に70年代を代表する高級グランドツアラーを発表した。それが、SR311の型式名を持つフェアレディ2000の後継車のフェアレディZである。
そのネーミングは未知数を意味する記号で、究極の車ということから、水津肇(当時第一車両設計部部長)が考えたもの。その後、フェアレディZのプロジェクトが煮詰まって、アメリカ日産社長の片山豊に企画が持ち込まれた。そこで気に入った片山からZ旗が送られてきた、という裏話がある。

スタイリングはロングノーズ&ショートデッキのスポーツカーフォルムで、ファストバッククーペである。そのクローズドボディは、耐候性と快適性では前モデルのフェアレディ2000の比ではない。

パワーユニットはL20型がメインであったが、川又克二社長の「フェアレディZには日産の最強のものを載せろ」という命令から、急きょ元プリンスの技術陣が設計したS20型が載せられることになった。

4バルブDOHCエンジンは基本的構造はスカイラインGT‐Rに搭載されていたものと同じである。Z432のネーミングは「フェラーリに342アメリカクーペがあるから432にしよう。4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトというのが数字の並びにぴったりはまった」という話がある。

S20型は7ベアリングのサイドボルト付きシリンダーブロックを持ち、シリンダーヘッドやピストンには軽量で冷却効率の高いアルミ合金鋳物を使用している。

スカイラインGT‐RのS20型とはわずかに変更されている。独立ブランチのエグゾーストパイプの形状やエアクリーナー、オイルパンなども異なる。ボア×ストロークは82・0mm×62・8mmで総排気量は1989ccである。このS20型はプリンス(ニッサン)R380のGR8型エンジンと基本的には同じものである。総排気量は製作寸法の管理上の余裕をもたせてあり、1996ccのGR8型の生産型である。

S20型は3基のソレックス40PHHキャブを装着し、9・5:1の圧縮比で、最高出力160ps/7000rpm、最大トルク18・0kg‐m/5600rpmの性能を発揮する。

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