ケンメリ&ジャパンスカイライン

CONTENTS

撮り下ろし特別企画①
ケンメリ
スカイラインHT2000GT-R

撮り下ろし特別企画②
ジャパン
スカイラインHT2000ターボGT-E・S

撮り下ろし特別企画③
スカイラインの顔を作った男
松宮修一

DESIGNER
ケンメリ&ジャパンデザイナー
松井考晏

SPECIAL
西部警察「マシンX」

SELECT21
KEN&MARY SKYLINE

SELECT7
JAPAN SKYLINE

KEN &MARY・JAPAN SKYLINE
ベストセラー・スカイライン

ケンメリ&ジャパンのデザインストーリーを調べていくと、意外な事が明らかになった。A案のデザインの基本フォルムとB案のフロントやリアが組み合わされて、最終案になり、それが形になるというのだ。それがケンメリ、ジャパン、R30だった。松宮修一はケンメリ、ジャパンのフロントをデザインしていた。この2車はハコスカをはるかにしのぐ売れ行きをあげた驚異のベストセラーだった。

S20型エンジンを搭載した最終型
ベストセラー・スカイライン
KEN&MARY SKYLINE HT2000GT-R
ケンメリ・スカイラインHT200GT-R

C110スカイラインは「ケンとメリー」の愛称が付けられた。その名付け親は日産プリンス販売の広告を担当していたライトパブリシティのアートディレクターの向秀男だった。ライトパブリシティにはチーフデザイナー&プロデューサーの細谷巌、写真家の萩原正美らそうそうたるスタッフがそろっていた。
向は「ケンとメリー」とは私たちの意味で、最初は「ジョン&メリー」だったが、男性のほうを、「ケン」にした。これなら「健」や「KEN」にも通じ、国や人種を超えたインターナショナルな名前になると名付けた。
73年1月、ファン待望のスカイラインGT‐Rが発売された。

ターボでチャレンジしたGT
ジャパン・スカイラインHT200ターボGT-E・S

ケンメリのあとに登場したジャパンは、広告コピーでは日本の美を追求した車だった。しかし、設計が開始されたのは73年7月頃で日本を意識したものではなかった。77年8月、排ガスや公害対策に追われながら5代目のジャパンを登場させた。エンジニアは「排ガス対策に忙殺されて体力が消耗し、新しい技術を1つも入れられなかった」と後悔した。そのスタイルは、ケンメリの延長線で、新しいサーフィンラインにトライしてはいるものの、キープコンセプトであった。しかし、新たなトライをしなければならないことが起こった。それがあのコピーだった。「名ばかりのGTは道をあける」と、トヨタから挑戦状を叩きつけられた日産は、モデルチェンジ1年前にターボモデルを投入した。
79年7月マイナーチェンジが実施された。丸型4灯式のヘッドランプから、角型2灯に変更された。現場のデザイナーは分厚い角型
はやりたくなかったが、田中次郎常務は「新しいことをやれ」とはっぱをかけた。スカイラインが、テレビ朝日系のTVドラマ「西部警察」にマシンXとして登場するやいなや人気が沸騰した。黒いボディにゴールドのストライプは人気カラーになった。そのカラーリングは、ロータスF1のJPSカラーだった。

MATSUMIYA SHUICHI HOT SHOOTING
スカイラインの顔を作った男
松宮修一ストーリー
ハコスカ、ケンメリ、ジャパン、R30の顔をデザインした松宮が初めて別冊に語ってくれた。

C10スカイライン(以下ハコスカ)4ドアは森典彦のデザインだ。グリルデザインは4ドアGT‐R、2灯の回りを囲むだけのものと左右の2灯をつないだものと2種類あった。松宮はプリンス初の(デザイン開始時)2ドアハードトップ(以下HT)をデザインした。ヘッドランプに眉毛のようなモールをつけて表情を出した。目の回りを強調し2灯を囲むモールと中央のボンネット下のモールを分離し、シャープなラインを出している。それが4ドアにも採用され全車が松宮の作った顔になった。ハコスカの最後を飾ったのが眉毛のフロントマスクの松宮デザインだったのだ。
新人の描いたデザインをまとめるのが松宮の仕事になった。しかし、自分でもスケッチを描いている。その兼ね合いが難しいところ。その狭間で悩んだことは容易に想像できる。
フロントはアメリカの戦闘機F‐100(スーパーセイバー)のイメージを取り込んでいる。大きな開口部があり、太いモールとバンパーで輪郭が作られていて、ここは穴というデザインだった。これは松宮のアイデアで、戦闘機が好きな松宮ならではのものだった。鯉のぼり(吹き流し)と呼ばれ親しまれた。口が開いていて、後ろから空気が抜けていく感覚だった。
全体の基本フォルムやサーフィンラインは松井案だが、フロントとリアは松宮案というのがケンメリの実体と言えるのではないだろうか。

73年7月にジャパン・スカイライン(以下ジャパン)のデザインが開始された。
基本的には松宮がジャパンのフロントとリアをデザインする。ケンメリと同じように戦闘機のイメージを残している。
マイナーチェンジで急に角型ヘッドランプを採用することになった。市光工業の製品だったが、技術的、法規的な理由でやや厚いものになった。
サーフィンラインはあくまでも装飾的な扱いだったものに、機能的な意味合いを含めるのが課題だったから、デザイナーの悩みは尽きなかった。丸型リアランプも残すかどうか検討会で話題になったが、これに代わる新しいアイデアは出てこなかった。
ジャパンのフードモールには天秤棒というあだ名がついた。松宮がデザインした。真ん中が太くて、両端が細くなっていた。黒のフードモールも検討されたが、分厚く見えるということでメッキのまま残すことになった。ケンメリは同じ太さのモールだった。
基本形は松井案だったが、他の案も松井案に似ていた。みんなも同じような所を狙っていた。サーフィンラインはもう限界にきていた。だから、ブリスターをラインにした。少し機能感があるものにした。
悩んだかいがあって、元気が出たデザインになった。それが受けたのかジャパンはよく売れた。

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