長男の出家<新版>/三浦清宏

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CONTENTS

「誰もが親であり子であるという顔をしているにすぎないのか。」(本文より)
1987年芥川賞受賞作品、ここに復活! 親子が問われる今、再び――

書き下ろし作品「長男の出家・その後」を収録

「僧になりたい、と息子が言い出したときには、驚いた」
――ごく普通の家族が、息子を自身の望んだ禅僧への道へ送り出す。

「親がいちばん修行の妨げになるんだ」
――息子の師匠である豪放磊落な尼僧と両親の間に生じる微妙なずれ。

淡々としたユーモアの中に、親子・夫妻・家族のたゆたう距離感を描いた1987年下半期の芥川賞受賞作。
その後日談として、息子・師匠との断絶から復交、
その中での父の思いのゆらぎを語った「長男の出家・その後」を書き下ろし併録。
家族関係の激変する平成日本に、親子の関係を問う傑作私小説をあらためておくります。

僧になりたい、と息子が言い出したときには、驚いた。
ある春先の日曜日の朝、いつものように息子を連れて坐禅に行く途中だった。息子は小学校の三年生になったばかりだった。
「お坊さんに頼んでよ。お父さん」と歩きながらぼくを見上げて言った。
息子がぼくにこんなふうにものを頼むのははじめてだった。ものを頼むどころか、こっちが何か言わなければ、ただ黙ってついて来るのが普通だった。何か思いついて言ったというのでもなく、何日か心の奥に浮きのように出たり入ったりしていたものが、ぴょこんと勢いよく飛び出したという感じだった。
とは言え、ぼくはそれほど真剣に受けとめたわけではない。第一あまりに唐突だった。ぼくは息子に坐禅をさせようと思ったことさえなかった。遊園地代りに連れて行ったようなものだ。第二に、その頃「一休さん」というマンガのシリーズがテレビで放映されていて、息子は毎日欠かさず見ていた。
ぼくは息子の言ったことは忘れてしまったが、息子は忘れなかった。
「お父さん。お坊さんに言ってくれた?」
二、三週間たった日曜の朝、やはり寺に行くときに言った。そのうかがうような、不安そうな様子から、ぼくは彼が日曜ごとの坐禅の後の昼食の席で、いま言ってくれるか、いま言ってくれるかと、ぼくと和尚との話のやりとりを見守っている様子を察した。
その日の昼食のときに、ぼくは、
「息子が坊さんになりたいそうですよ」
と笑いながら和尚に言った。それで息子との約束を果たしたつもりだった。
「そうか」
和尚は禅僧らしい「破顔一笑」という顔を息子に向けた。
「いい坊さんになれるかな」
「はい」
息子は真剣にうなずいた。
ぼくはいささかあわてた。こういうなりゆきは予想していなかった。和尚も、子供のことだぐらいに受けとって、冗談にしてしまうだろうと思っていたのだ。この和尚には、うっかりした冗談は通じない。子供のことといえども真剣になることを忘れていた。ぼくは急いで言った。
「まだ小学生ですからね。どう変わるかわかりません。たぶんマンガの影響ですよ。小学校を卒業してからまた考えましょう」
「マンガの『一休さん』を見たからかい」
和尚は息子の顔を優しく覗き込んだ。
息子は小さな首を横に振った。
「そうか。そうか。それでも小学生ではまだ早いな。もう少し大人になってからにしよう」
寺の都合もあるし、というようなことを和尚は言った。その言い方には、子供の言い分を大人流にあしらうという様子は少しもなかった。(6ページ 長男の出家より)

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